「新幹線に乗りました。信じられないほど空いています」という吉永先生(法政大学)の連絡がすべてを物語るような朝のお天気だった。先生は、「アメニティマップづくり」企画のため日曜に名古屋入りして、翌朝には大学での講義のために東京に戻っていなくてはならない。なのに事前の天気予報は、そもそも新幹線は動くのかと不安にさせる内容だった。
たしかに雨は降った。でも晴れていたら出会えなかったものに、この日わたしたちは出会えたように思う。
参加者は、まず地図を手に一定のエリアを歩き回り、いいと感じたところ・わるいと感じたところを記します。それを他の参加者と共有し、感じ方の異同を確認します。そこを入口に全体で対話を進め、エリアの魅力や課題を浮き彫りにします――これがアメニティマップづくりのあらましだ。
吉永先生のご著書やこれまでのお話からすれば、アメニティマップとは都市工学の手法で、街なかで行うことが多い。相生山みたいな自然の中で成立するのだろうか、と裏方はやや心配していた。それに、街であれば各人が独自に散策しながら気になるポイントを記録して回ればいいところ、相生山では、各々に歩いて迷子になってはたいへんと、単一のコースをまとまって歩くことになった。これでほんとに、参加者がめいめいに何かを見つける経験ができるのか。でも、今になるとそれもこれも杞憂だった。
この日、歩き出しこそ降っていなかったものの、すぐにわたしたちは雨に降られた。木立の中で雨が降り出すと、雨粒はまず葉に当たり、高いところでぱらぱらと音を立てる。それを聞き、ややあって雨粒が自分の頭や肩に届くーーこの時差を、水を含んだ木々の匂いを、わたしたちは楽しんだ。木の葉は雨に濡れてますます鮮やかだった。
「こんなに立派なの、久しぶりじゃない?」と水たまり群を鑑賞するひと、「いま2種類いたね?ヤマトシジミとウラナミシジミだった」と一瞬でシジミチョウを同定するひと、「掃除機が投棄されてる。これ最近の出来事ですよ」と投棄監視について語るひと、残されたブロック塀や植栽から、以前この地にあったはずのお宅の様子をしのぶひと、「今は枯れてしまったが、9月の大雨のときはここらにもしばらく水が残ったんですよ」と沢の跡を指さして教えてくれるひと、「『立入り及び耕作禁止』って、立入れなかったら耕作だって当然できないでしょうに」と市が設置した看板のくどくどしさに苦笑するひと。途中、誰かが鳥の羽根を拾い、それを詳しいひとが何人かで見て「フクロウですよ、これ」。今も相生山にフクロウが!
一緒に歩いている。歩いてはいるが、見えているものがみんな違う。多様だ。散策からわたしたちが持ち帰ったものは、1時間やそこらでは語りつくせない膨大な気づきだった。それを短い言葉にして付箋に書き、大きな地図に貼っていったらあっという間にアメニティマップができあがった。地図をはさんで向かい合い、自分の感じたことを伝え、ひとの話に耳を傾ける。「共有」は現代の再頻出語彙のひとつだと思うが、向かい合って誰かの話を聞きながら、共有ってこういうことか、一方的に発するのではなく聞くことなんだなと、はっとさせられた。
相生山はヒトの活動とともにある場所だ。古いところでは旧石器時代の遺物が出ている。樹木が燃料として伐られ、一帯がはげ山になった時代も長い。森の一部にはかつて家や歓楽施設が建ち、そこが市に買い戻されてまた緑地に戻ったりしている。井戸の跡が何か所かあったりする。古びながら、今も役割を果たしている手書きの看板も多数ある。また、森に吸い寄せられるように新しい住人が来たりもする。
「天然の」樹林を「保全」するのとは違うあり方で、この地に残ってきた相生山。わたしにとって相生山が面白いのはそういうところだったのだなと、この日はじめて気づいた。

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