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どこかを歩くと誰かに会って

ものすごくむつかしい表情をした、大きな犬がいるお宅の横を抜けてしばらく行くと、急に視界がどどーんとひらける。こんな場所があると、今の今まで知らなかった。関係者にご挨拶した上で、歩かせてもらっている。

いちめんの畑地。それを取り囲む竹林。「名古屋の北海道」と誰かが言ったが、北海道に行ったことのないわたしもうっかり「…北海道みたい」と口にしてしまう広大な畑地だ。まさかこんなところにそんな景色があろうとは。

静かである。鳥の声、虫の声、近くの小学校かららしい、運動会の練習の掛け声。それだけ。街の喧騒はまったく届かない。けっこうな高台であるはずだが、背の高い木々に囲まれ、今は街の「ま」の字も見えない。

畑仕事をする、ごく限られたひとしかここには来ない。畑仕事の服装ではない我々を見て、Aさんが仕事の手をとめて話しかけてくださった。

このあたりにとても多いAさんの苗字は、もとは知多のほうから移り住んだひとたちのものであったこと。開墾に際しては、天白川からこの丘陵地まで、牛に大八車を引かせて砂を運び上げたこと。八事五寸(にんじん)は今はチップスとしても売られていること。かつてこの辺りではりんごも栽培されていたこと(なんと!)。菅田の辺りでは昔は嫁獅子があったこと(神楽なのか芝居なのか、聞けませんでしたが)。

これを書いているわたしが育ったのは、ここから随分離れたまちですが、子どもの頃は、天白からBさんという農家が軽トラで野菜を売りにまわってきて、いつもそこから買っていた。そういえばあの頃はあちこちの神社に市が立って、野菜も果物も魚も衣類もそこで買えたんだった。生活の中に、子どもが見て分かるようなひとやモノの流れがあった。

我々より少し先輩であるAさんの、昭和の頃の話は尽きない。そのうち、皆を連れてきて「Aさんを囲む会」をやりましょうよね、と言ったらAさんは照れておられた。相生山には、菅田遺跡、北沢遺跡と、旧石器時代のひとの暮らしのお道具が見つかっている場所が幾らもある。この日のわたしたちみたいな会話が、相生山では何万年という単位で行なわれてきたのだ。

この「なんでもない感じ」を、失いたくないなと思う。

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